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山崎康晃が新人セーブ記録を更新間近。現記録保持者は与田剛投手 [プロ野球]

横浜DeNAベイスターズのルーキー、山崎康晃投手が史上2人目の新人30セーブに到達しました。

過去の新人セーブ記録は、1990年に中日ドラゴンズの与田剛投手が記録した31セーブ。
記録更新は時間の問題となっています。

山崎投手は、150キロを超えるストレートに、鋭く落ちるツーシームを武器に、開幕当初から獅子奮迅の働きを見せてきました。
(あの落ちるボールをツーシームと呼んでよいのか疑問は残りますが…)

今シーズンの成績はここまで(8月15日終了時点)で、
46試合に登板、44回を投げて自責点8、防御率は1.64と抜群の安定感を誇っています。
さらに、投球回44に対して奪三振は55、奪三振率は11.25と、かつての大魔神を彷彿とさせるピッチングです。

そんな、山崎投手が追い抜こうとしている与田投手はどのような投手だったのでしょうか
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与田投手は1989年のドラフトで、中日ドラゴンズにドラフト1位で指名されます
この年のドラフトでは、後にメジャーリーグで活躍する野茂英雄投手に8球団から1位指名が集まりますが、
中日は野茂投手ではなく、最初から与田投手を単独指名したのでした。

与田投手はNTT東京時代から、MAX148キロを誇る剛球投手として鳴らしていましたが、
プロ入り後にはその速球はさらに威力を増し、ハンガーのように巨大な肩幅から投じるボールは、
150キロ以上を連発。
当時の日本人最速となる157キロも記録します。

デビュー戦でいきなり味方捕手にタックルした相手選手に食ってかかるなど、
マウンド上では闘争本能をむき出しにしました

その常時150キロをオーバーする速球はファンを魅了し、近鉄に入団して三振を量産していた野茂投手とともに、
セの与田、パの野茂と称され、ともに1年目のオールスターゲームで先発登板をしました。

1年目から抑え投手としてフル回転。当時の抑え投手は1イニング限定ではなかったため負担も大きく、
そのツケがまわったのか、2年目以降は肩の故障にも悩まされ、成績はそれほど奮いませんでした

しかし、与田投手の記録した157キロは、現在でも中日ドラゴンズ史上最速となっており、
1年目の活躍は、間違いなくファンの脳裏に刻みつけられるものでした。

山崎投手の今シーズンの活躍も、ベイスターズファンの心に残り続けていくでしょうか。

■与田 剛
1965年12月4日生まれ 千葉県出身
182cm 80kg 右投右打
1990年の成績は、
50試合 4勝5敗31セーブ 88回1/3 自責点32
防御率3.26

NTTがADSLの「新規申し込み」を来年6月終了。サービス廃止と誤解無きよう。 [インターネット]

NTTがADSLサービスの新規加入を来年6月末で打ち切るようですね。

光ファイバーを利用したインターネットサービスが普及してきたことにより、ADSLの利用者は年々減少。
NTTのADSLサービス「フレッツ・ADSL」の利用者が最盛期の4分の1以下にまで減っています。
もう一つのADSLサービス提供の大手、ソフトバンクでも利用者は最盛期の3分の1にまで減少しています。

そして、新たにADSLのサービスを契約する人もほとんどいなくなっているため、
新規申し込み打ち切り、という流れになったようです。

この流れを受けて、ADSLサービスが廃止されるのではないか…という記事が出ていますが、
あくまで、「されるのではないか」です。

今のところ、NTTが打ち切るのは新規申し込みだけであり、 ADSLサービスそのものではありません。お間違えないように!

NTTの営業代理店が、ADSLのサービスが廃止されます!とまことしやかに触れ込んで、 半ば強引に光通信に契約を切り替えさせるという手口があるらしいので…

とはいうものの、ADSLが今後廃れていくこと自体は、間違いないでしょう。
将来的にサービス終了の可能性は十分に考えられます。
既に利用者は大きく減少し、新たに加入者が増えることも無くなるわけですから、
NTTとしても、いつまでもサービスを続けていくことは出来る限り避けたいでしょうし。

ADSLから光通信サービス(NTTの場合は「フレッツ光」)に切り替えること自体は、なんの問題もないでしょう。
むしろ通信速度が上がることが見込まれますので、サービスとしては向上します。

ただ、金額面の問題がありますので、切り替えるタイミングはやはりご自身で判断された方がよいでしょう。

光に切り替えるな!と言っているわけではありませんよ。
ただ、ADSLが廃止される、という誤解をしたまま、判断をなさらないように、ということです。

実は、我が家もADSLなのですが、どうしようかな・・・

タグ:NTT ADSL 廃止

九国・山本武白志が2戦連続弾。山本浩二じゃなくて山本功児の息子です! [プロ野球]

九州国際大学付属の3年生、山本武白志(むさし)選手が2試合連続のホームランを放ちました。
高めの甘く入ったボールをひっぱたくと、打球は軽々とレフトフェンスを超えて…
すごいパワーです。

ところで、この山本武白志選手、元ロッテ監督の山本功児さんの息子さんなのですが、
山本浩二さんの方と勘違いされている方が結構いるそうですね。

確かに、どちらも「やまもと・こうじ」で、プロ野球で活躍した時代も重なっているのですが…。

というわけで、両氏について説明をば。

まず、山本功児さん。
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九州国際大学付属高校の三塁手として甲子園に出場している、山本武白志選手のお父さんです。
元プロ野球選手で、監督も務めています。

1975年ドラフト5位で読売ジャイアンツに入団します。
山本功児選手のポジションはファーストですが、当時のジャイアンツには世界のホームラン王、王貞治選手がいました。
さすがに王選手を押しのけてファーストのポジションを掴むのは困難で、外野手を掛け持ちして試合に出場します。

1980年限りで、王選手は引退しますが、その後もレギュラーポジションを掴むことはできず、
1984年にロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に移籍。
ここで遂にファーストのレギュラーをつかみとります。
1988年限りで現役を引退。
通算成績は、1217試合に出場し、699安打、打率.277、本塁打64本、369打点。
柔らかい一塁の守備と、左打席からの強打が売りの選手でした。

引退後は、10年間ロッテでコーチや二軍監督を務めた後、1999年にロッテの監督に就任。
監督を務めた4年間は勝ち越すことはありませんでしたが、育てた選手たちは退任から2年後、
日本一という大輪の花を咲かせました。


そして、山本浩二さん。
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今でも、解説やバラエティー番組などに登場する機会が多いですね。
言わずと知れた、「ミスター赤ヘル」。広島カープ史上最大のスター選手です。

1968年ドラフト1位で広島カープに入団。
大学時代は、田淵幸一選手、冨田勝選手とともに「法政三羽ガラス」と呼ばれていました。

新人王こそ同窓の田淵選手に奪われますが、1年目から広島の主力選手として活躍します。
入団当初は足が速い中距離ヒッターとしてチームに貢献しますが、30歳を境に長打力が開花。
1977年から5年連続して40本以上のホームランを放ちます。

カープの代表選手として、「ミスター赤ヘル」と呼ばれるようになります。
今、野球場ではトランペットの応援が鳴り響いていますが、
これは広島ファンが浩二選手の打席で演奏したのが始まりだとも言われています。

1986年に現役引退。この年にも27本のホームランを打っています。
通算成績は2284試合に出場して、2339安打、打率.290、本塁打536本、1475打点。
本塁打数はプロ野球歴代4位となります。

引退後、1989年に広島の監督に就任。1991年にはチームを優勝に導きます。
1993年限りで退任後、2001年には2度目の監督に就任し、5年間指揮を執りました。


と、実績で見ると、圧倒的に山本浩二さんの方が上になります。
「やまもと・こうじ」と聞いて、こちらを先に連想するのも無理はありません。

現役時代の山本功児選手は、「ニセ・コージ」と野次られることもあったそうです。

でも、山本武白志選手が甲子園で活躍している今は、 本物の「やまもと・こうじ」は山本功児さんです!

みなさんもお間違えなく!
そして、武白志選手、その名をもっと広めるため、さらなる大活躍をお願いします!

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