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モーリン・オハラさんが95歳で死去。その女優人生とは [芸能]

アメリカの女優、モーリン・オハラさんがお亡くなりになりました。

モーリン・オハラさんは95歳

昨年、94歳にしてアカデミー賞名誉賞を受賞して、

同時受賞した宮崎駿監督「会えて感動した」と喜ばせていました。

モーリン・オハラとはどのような女優さんだったのでしょうか?

Maureen_O'Hara.jpg
(Wikipediaより)

映画女優となるまで


モーリン・オハラさんは、1920年8月17日にアイルランドのダブリンで生まれました。

本名は、モーリン・フィッツシモンズ

サッカーや木登りに興じる、腕白な女の子だったそうです。

それと同時に演技にも興味を持ったモーリンは、母親に発声教室に通わされ、

14歳で地元の演劇コンテストで優勝します。

そして、アイルランドの劇団アビー・シアターに入団、劇団で高い評価を受けながら、

舞台女優としての成功を目指します。

一時、秘書と簿記の勉強をするため俳優活動を中断しますが、

1937年にジョージ・ブラウンと結婚すると、翌38年にはイギリスへ渡ります。


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ハリウッドでスターに


イギリスで映画俳優チャールズ・ロートンの映画会社に入り、

映画女優となったモーリン・フィッツシモンズですが、

名前がいかにも長いということで、芸名をモーリン・オハラとして活動するようになります。

そして、ロートンとともにアメリカに渡りハリウッドへ進出、

『ノートルダムのせむし男』に出演して、ヒロインのエスメラルダを演じます。

ハリウッドで認められたモーリン・オハラは、20代にしてスターの地位に上り詰め、

『海の征服』、『西部の王者』、『センチメンタル・ジャーニー』など、

さまざまなジャンルの映画に出演します。

この1940年代当時はカラー映画が流行していて、オハラの美貌と赤く美しい長髪が画面に映え、

「テクニカラーの女王」とも呼ばれました。

1950年代ごろからはテレビにも出演をするようになり、

ショー番組で自慢の美声で歌を披露したり、テレビドラマに出演したりするようになりました。


女優引退と復帰


1968年に飛行家のチャールズ・ブレアと3度目の結婚をしたオハラは、

家事を優先するためか女優活動を控えるようになり、

1973年の『赤い仔馬』への出演を最後に、芸能界からの引退を表明しました。

引退後はバージン諸島に移り住み、夫と航空会社の運営や、コラムニストとして活躍します。

しかし、1978年に夫チャールズが飛行機の墜落事故で他界

航空会社の所有権と経営を引き継ぐこととなり、女性初の航空会社の最高経営責任者となりました。

その後もバージン諸島で静かに暮らしていたオハラですが、

1991年にクリス・コロンバス監督の熱い依頼を受けて映画界に復帰。

90年代にはテレビ映画への出演をしていましたが、2000年の出演を最後に表舞台から退きました。



子供の頃からの本人の気性が影響してなのか、

芯が強くて勝ち気な女性を演じることが多かったモーリン・オハラさん。

昨年、宮崎駿監督がお会いした際、シルエットは昔と変わらぬ雰囲気を感じたそうです。

歳を取っても、凛とした様は崩さなかったのでしょうね。


ご冥福をお祈りします。



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