今夏の覇者は東海大相模!100年の歴史、優勝旗は未だ白河関を超えず [高校野球]
第97回夏の高校野球大会は、東海大相模が45年ぶりの優勝を成し遂げました!
東海大相模は小笠原慎之介、吉田凌の左右の2枚看板、仙台育英は佐藤世那と、
両チームと全国屈指の好投手を擁しての頂上対決となりましたが、試合は意外にも打撃戦に。
6-6のタイスコアで迎えた9回の表、
試合を決定付けたのは、この回の先頭打者として打席に立った小笠原慎之介選手でした。
佐藤世那投手の決め球、フォークボールが高めから落ちてくるところを、バットが一閃。
打球はライトスタンドへと飛び込み、これが2015年の夏の覇者を決めるホームランとなったのでした。
この回、更に東海大相模は3点を追加すると、その裏、小笠原投手が最後の力を振り絞ります。
最後の打者、仙台育英・青木選手を、この日の161球目でライトフライに打ち取り、真紅の大優勝旗をその手に掴みとったのでした。
仙台育英も大熱戦を演じ、東北勢初の優勝まで間近に迫ったのですが、残念ながら後一歩及びませんでした。
今年も、白河の関越えは成らず…でしたね。
東北地方の高校が、全国大会の決勝に進んだのは、春夏通じて11回。
11度目の正直を期待した東北の人も多かったのでしょうが…。
この歴史、実は第1回大会にまで遡ります。
大正4年に行われた第1回大会の決勝戦は、京都の京都二中と秋田の秋田中の対戦。
この時はまだ、甲子園球場はできておらず、大阪の豊中球場で行われました。
試合は延長の13回裏にまでもつれ、京都二中がサヨナラ勝ちを収めています。
第1回大会で既に東北勢の優勝はあと一歩のところだったのですね。
その後100年かかっても越せないとは、何と遠い一歩なのでしょう。
しかし、東北勢は過去11度決勝に進出していますが、そのうちの実に7度が2000年以降です。
その時は近づいている、と考えても良いのではないでしょうか。
本当のところ、11年前に優勝旗は既に白河の関を超えているんですよ。
そのまま、津軽海峡も超えていってしまいましたので、東北の地には降りていませんが…。
それに、仙台育英のナインも、優勝には届かなかったとはいえ、最高の戦いを見せてきました。
今、白河の関うんぬんを言うのは、本当は無粋なことなのですよ。(言っちゃってますが)
まずは、仙台育英の健闘を称えるべきですよね。
甲子園の閉会式に立てるのも、全国3906校のうち、たったの2校だけなのですから…。
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東海大相模は小笠原慎之介、吉田凌の左右の2枚看板、仙台育英は佐藤世那と、
両チームと全国屈指の好投手を擁しての頂上対決となりましたが、試合は意外にも打撃戦に。
6-6のタイスコアで迎えた9回の表、
試合を決定付けたのは、この回の先頭打者として打席に立った小笠原慎之介選手でした。
佐藤世那投手の決め球、フォークボールが高めから落ちてくるところを、バットが一閃。
打球はライトスタンドへと飛び込み、これが2015年の夏の覇者を決めるホームランとなったのでした。
この回、更に東海大相模は3点を追加すると、その裏、小笠原投手が最後の力を振り絞ります。
最後の打者、仙台育英・青木選手を、この日の161球目でライトフライに打ち取り、真紅の大優勝旗をその手に掴みとったのでした。
仙台育英も大熱戦を演じ、東北勢初の優勝まで間近に迫ったのですが、残念ながら後一歩及びませんでした。
今年も、白河の関越えは成らず…でしたね。
東北地方の高校が、全国大会の決勝に進んだのは、春夏通じて11回。
11度目の正直を期待した東北の人も多かったのでしょうが…。
この歴史、実は第1回大会にまで遡ります。
大正4年に行われた第1回大会の決勝戦は、京都の京都二中と秋田の秋田中の対戦。
この時はまだ、甲子園球場はできておらず、大阪の豊中球場で行われました。
試合は延長の13回裏にまでもつれ、京都二中がサヨナラ勝ちを収めています。
第1回大会で既に東北勢の優勝はあと一歩のところだったのですね。
その後100年かかっても越せないとは、何と遠い一歩なのでしょう。
しかし、東北勢は過去11度決勝に進出していますが、そのうちの実に7度が2000年以降です。
その時は近づいている、と考えても良いのではないでしょうか。
本当のところ、11年前に優勝旗は既に白河の関を超えているんですよ。
そのまま、津軽海峡も超えていってしまいましたので、東北の地には降りていませんが…。
それに、仙台育英のナインも、優勝には届かなかったとはいえ、最高の戦いを見せてきました。
今、白河の関うんぬんを言うのは、本当は無粋なことなのですよ。(言っちゃってますが)
まずは、仙台育英の健闘を称えるべきですよね。
甲子園の閉会式に立てるのも、全国3906校のうち、たったの2校だけなのですから…。
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